• トップ
  • > 松代そばとは?:松代そば善屋のそば歳時記

松代そばとは? 善屋のそば歳時記

師走(十二月)の歳時記 討ち入りそば=うちいりそば
  元禄十五年(一七〇二)十二月十五日は、新暦でいうと1703年一月三一日に当たるが、赤穂浪士大石良雄以下の吉良義央を討って、首尾よく本懐をとげた日である。
  その前夜、そば屋楠屋十兵衛またはうどん屋久兵衛の二階で勢揃いし、
『打(うつ)つの縁切(きる)のゑんにて義士はそば 里曉』(『柳多留』五二・32)と柳句にあるとおり、縁起を祝って手打ちそばを食べたという。(中略)
  そのためか、毎年師走一四日に東京都港区高輪泉岳寺や、赤穂市と京都市東山区山科の大石神社など義士ゆかりの地で、技師を供養する義士祭が催され、必ずそばが振舞われる。また、吉良邸跡の本所松坂町公園でも松坂稲荷を中心に、墨田区両国連合町会主催の義士祭が行われる。
  そのほか、親鸞上人自作の蕎麦喰い木像を安置している京都市三十三間堂前の法住寺には、大石良雄が仇討ちを祈願したといわれる身代わり不動があるため、義士会法要が営まれる。いずれも、参拝者らに討ち入りそばを接待していたが、いまは行われていない。
    業界では、東京・有楽町更科先々代藤村源三郎が昭和二年、義士追悼そば会を同店で催したのが最初であろう。笊に入れた五色そば(磯切り・鯛切り・卵切り・芋切り・胡麻切り)に作家・江見水陰の句「義士はみなそばの力や夜の雪」を刷りこんだ掛け紙を使い、1個1円で売った。予約だけで一日千個をさばくほど客に受けたが、五、六年で止めてしまった。

「そば歳時記」新島 繁(中公文庫:P237~246)


松代そば善屋のそば歳時記 TOPへ